産業技術遺産探訪 2003.8.23./2006.9.2./2006.10.15.

下諏訪倉庫 旧 繭倉庫
下諏訪倉庫 蚕糸資料館

5階建2棟 土蔵造(木骨) 1900(明治33)年竣工
 4階建2棟 土蔵造(木骨) 1911(明治44)年竣工 

産業考古学会推薦産業遺産

2006(平成18)年9月解体

長野県諏訪郡下諏訪町八木西20 下諏訪倉庫株式会社

 製糸工場が購入した原料繭は、繰糸までの間に貯蔵しておく必要があります。器械製糸が始まった頃は、原料繭は、住居の2階や穀物などを保存しておくために建てられた土蔵などに貯蔵しておきましたが、穀物用の土蔵は換気が不十分で、原料繭の貯蔵期間中に繭にカビが発生することがありました。
 1885(明治18)年に岡谷の尾沢金左衛門の住宅が火災となり、貯蔵してあった原料繭が焼失して大損害を受けたことから、原料繭の専用貯蔵倉庫を建てました。これをきっかけとして製糸工場が原料繭の貯蔵を専用とする繭倉庫を建てはじめました。
 昭和初期には、岡谷市内だけでも100以上の繭倉庫がありました。
 貯蔵してある原料繭を乾燥させるための初期の繭倉庫は「生倉」といい、3〜5階建ての白壁土蔵造、間口7〜8間、奥行5〜6間のものが多く、中には6階建てのものもありました。倉庫内を通り抜ける風によって繭を乾燥させる「風乾」のために、窓の大きさは3尺×5尺(約90cm×約150cm)の大型多窓式の倉庫で、換気しやすいように工夫されていました。殺蛹(さつよう・・・繭の中の蛹を殺すこと)または半乾燥(乾燥させた繭の重量が生繭重量の半分程度になったもの)した繭を簾(すだれ)を敷いた蒸籠(せいろ)に入れて、生倉の中で3〜4週間かけて乾燥(本乾燥)させました。
 大正後期になると、繭の乾燥方法について研究も進み、乾燥機も発達したことから、原料繭は乾燥機で本乾燥させたものを貯蔵するようになり、繭倉庫も小型少窓式倉庫に変わっていきました。


南側の旧・繭倉庫

南側の旧・繭倉庫 内部

東側の旧・繭倉庫

北側の旧・繭倉庫

西側の旧・繭倉庫


下諏訪倉庫(株)のあゆみ
 明治初年、下諏訪町に水車による器械製糸業が生まれました。その後ボイラーの発達により器械製糸業は大きく発展し、下諏訪、岡谷をはじめ諏訪地方には大小多数の工場ができはじめました。これら製糸業の円滑な経営と企業の発展のためには金融機関が必要であり、多くの金融機関が誕生しました。それらの金融と製糸業界発展を目的として第十九国立銀行(八十二銀行の前身)、佐久銀行、三井合名会社によって1900(明治33)年に下諏訪倉庫株式会社が創立されました。
下諏訪倉庫の沿革
1900(明治33)年 「下諏訪倉庫株式会社会社」設立
1905(明治38)年 中央本線開通
1911(明治44)年 倉庫増設
1912(明治45)年 倉庫増設
1917(大正 6)年 倉庫増設
1931(昭和 6)年 製糸業界大不況、三井組製糸場廃業
1943(昭和18)年 東京兵器補給廠に徴用
1945(昭和20)年 終戦と共に戦前と同様の営業に戻る
1948(昭和23)年 農林省指定倉庫
1968(昭和43)年 穀物サイロ営業所開設
1969(昭和44)年 松本支店開設
1971(昭和46)年 名古屋税関より長野県下初の保税上屋許可
1973(昭和48)年 上諏訪支店開設
1985(昭和60)年 三井屋花梨館経営
1987(昭和62)年 伊那支店開設
1992(平成 4)年 松本臨空営業所開設(7月20日)開設予定)
1992(平成 4)年3月 下諏訪町「街かど博物館」の1つとして「下諏訪倉庫・蚕糸資料館」オープン

1932(昭和7)年竣工の事務所

下諏訪倉庫蚕糸資料館

下諏訪町の「街かど博物館」として1992(平成4)年3月オープンしました。


東側の旧・繭倉庫が「下諏訪倉庫・蚕糸資料館」です。

下諏訪倉庫蚕糸資料館の展示内容
1.下諏訪倉庫 資料
保管・荷役用具
書類
什器備品類
2.合名会社 三井組 資料
3.三井合名会社 資料
4.白鶴社 関係資料
5.養蚕・繰糸の道具
選繭台、繭乾燥保管棚、生皮苧(きびそ)、機織り機、見本繭、生糸、商標ラベルなど
6.その他 道具類
7.特別展示コーナー
糸ねじり職工 笠原博夫(1904-1967)コーナー

下諏訪 三井組製糸場が発注した新潟鐵工所製ボイラー

下諏訪倉庫株式会社取締役社長・三井章義さんに、
博物館の展示物や繭倉庫について詳しくお話を伺うことができました。


 下諏訪倉庫の旧・繭倉庫は、2003年末に解体撤去される予定です。東海地震の警戒地域でもあり、木骨の土蔵という構造そのものや老朽化によって、旧・繭倉庫は耐震性の面で問題があり、内陸の倉庫業が衰退している中で、個人企業で旧・繭倉庫を維持管理していくことが困難であるということです。「どんな形でも残る方法があれば良いのだが。今後、失われる地域の近代産業遺産をどう残していくか、地域にもっと関心を持ってほしい。今回のことが、見直しのきかっけとなってほしい・・・」(三井社長)
 かつての「糸都」、岡谷・諏訪地方の象徴であった土蔵造の繭倉庫を実際に見ることができる日もあとわずかとなりました。(解体は2006年9月に行われています。)

 「岡谷製糸業の展開 ふるさとの歴史 製糸業〜農村から近代工業都市へのみち」(岡谷市立岡谷蚕糸博物館)、「製糸のおはなし(展示資料ガイド)」(岡谷市立岡谷蚕糸博物館)の表紙には、岡谷・諏訪地方にたくさんあった土蔵造繭倉庫の写真やイラストが使われています。

旧・繭倉庫が解体されました。
2006(平成18)年9月〜10月

製糸業の隆盛の一翼を担った施設であり、諏訪地方に現存していた貴重な繭倉群でした。


2006(平成18)年9月2日撮影

2006(平成18)年10月15日撮影

事務所建物は敷地の南側へ移築されました。
長野県諏訪郡下諏訪町18番地5 下諏訪倉庫本店

旧 繭倉庫のあった敷地は、2007年7月にスーパーマーケット「SEIYU(西友)」となりました。

技術のわくわく探検記  産業技術遺産探訪  技術科@スクール